人は、鏡の自分を嫌う
そこに映った自分が、まるで自分ではないかのように
自分の醜さを具現化されたかのように
「お求めの姿見は、こちらでよろしいでしょうか?」
甘やかな声、しとやかな動作。
小紋の着物に流れ落ちる漆黒の長い髪の持ち主の店主は、鈴の転がるような声音で問うた。
「ああ、細工の見事さといい、さすが霞祢堂(かすねどう)さんが扱うだけの事はある」
「まあ……お褒めいただき恐縮ですわ」
町の一角に『霞祢堂』は店を構えている。
古美術、骨董、古い道具……なんでも扱う店といっても過言ではない。
その店主は、年齢を推し量れない妙齢の美女であった。
店主目当てのお大尽が通うほど、と噂される事もしばしあるほどに。
「ではこちらの姿見、包ませていただきます。……ああ、そうそう。ひとつ、ご忠告がございます」
店主は、片目眼鏡の奥の瞳をうっすら細めて言葉を紡ぐ。
「忠告、ですかな?」
「ええ、そうです。いかにお気に召しましても……夜半、特に丑の刻にはご注意なさいませ。この姿見の前に立たれますと、この現世(うつしよ)に戻れなくなりますから、くれぐれもご注意を……」
「まるで迷信のようですな」
「信じるも信じぬも、お客様の自由です……ですが、忠告を破られて起こった事の責任は致しかねますのでご留意くださいませ」
「おお、怖い怖い。ゆめゆめ注意しておきましょう」
店主の謎めいた言葉に、おどけるような仕草を見せる客。
おそらく、心から信じていないのだろう。
店主もそれがわかるのか、微笑みを以って応えるにすぎない。
「よろしくお願いいたしますね。これほどの品、亡くすには惜しいですから」
「そうですな」
二人の会話の合間に、件の姿身の鏡は店の下働きの者によって包まれた。
それを客の車に積み終わる様を見ると、店主は微笑んだ。
「それでは、よい夢を」
豪奢な細工の姿見が売れてから三日。
店主は店の裏手にある自宅の縁側で煙管を飲んでいた。
朱塗りに銀細工という凝った煙管に、彫り物の美しい煙草箱。
紅色の小紋は、黒髪の美しさを際立たせる。
「あの客……忠告破ったかもしれないねぇ」
ふ、と虚空に紫煙をくゆらせる。
風に流され、それはすぐ空に消えた。
不思議な品は縁(えにし)を持ち、人を選び、人の世を渡っていく。
そんな品を多く扱うのがこの『霞祢堂』であり、店主である。
「……仕方ない」
こんっ、と煙草箱に煙管を軽く打ちつける。
「野暮は嫌いなんだよ」
しゅる、と着物の帯がはだけた。
姿見の鏡を買い上げたのは、町でも有数の金持ちと目されている人物だった。
妻も子供もいるが外に囲う妾の数も多い、と何かにつけて噂の絶えない人物でもある。
店主は着る物を変え、この人物の屋敷へと訪れていた。
支那の国の服は動きやすさで好まれているが、女性にとっては身体のラインを際立たせるために倦厭されている部分も大きい。
しかし、店主は持ち前の妖艶さもあってかすんなり着こなしていた。
「今日はどのようなご用件ですかな。掘り出し物でもありましたら、こちらから伺わせていただきましたのに」
額に浮かんだ汗をしきりに拭きながら、客は問うた。
いささか表情が青ざめているのは気のせいだろうか。
「いいえ……先日お求めいただいきました姿見の事で、今日はお伺いしましたの」
出された茶にさえ手をつけず、店主は涼やかに答え言葉を紡ぐ。
「ご忠告申し上げた事を、守っていただけているか……と」
「丑の刻には前に立つな、と……あれですかな?」
「ええ、そうです」
艶然とした店主の微笑みに、思わず惹きつけられる客。
「お客様がお守りいただいても、ご家族が……という場合もございますでしょう? 心配しておりまして……」
「おお……貴方が心配なさる事はありませんよ。なにかあったとしても、それは当人の問題だ」
少し気弱な言葉を見せた店主を気遣ってか、客から思わぬ言葉が出てきた。
当人の問題。
それは、すでに事が起こっているのか。
片目眼鏡の奥の瞳に光が宿り、すっと細まる。
「まあ……ありがたいお言葉です。時に……奥様はどうされたのです? お姿がお見えになりませんが……」
「あ、ああ……家内は少し体調が思わしくなくてね。静養に出ているところですよ」
「そうでらっしゃいましたか。それは失礼致しました……お求め頂きました姿見、拝見させて頂いてもよろしいですか?」
「ええ、構いませんよ」
客は髭をしごきながら、店主を姿見を置いた場所へ案内する。
それは夫婦の寝室だった。
「家内がこの鏡をいたく気に入りましてね。それなのに静養に行く事になってしまい、とても残念がっていましたよ」
「そうでしたの……」
店主はつ、と鏡に指先を這わせる。
その指は隅の方に生まれた、一点の曇りを逃さなかった。
「奥様には、この鏡のご忠告は申し上げられましたの?」
「え、ええ、もちろん」
「本当に?」
「本当ですとも。疑われるのですか」
鏡から指を離し、店主は客へと振り返った。
「鏡が申しておりますわ……奥様を飲み込んだ、と」
「ば、馬鹿な! 戯言を申されますな! 言っていい事と悪い事とありますぞ!」
動揺の色を走らせた瞳を、店主は見逃さなかった。
「鏡の曇りは異界からの言葉……伝えるべき文字。嘘は申しません」
「嘘だ! 一体なんの証拠があるというんだ!!」
「証拠でしたら、この鏡ですわ」
店主の微笑みに呼応するかのように、背後の鏡がざわめき、表面が揺らめき立つ。
「正直におっしゃってくださればよろしいものを……」
結い上げていた髪が、ぱさっと肩に落ちる。
片目眼鏡の奥に、緋色の瞳が見えた。
「野暮だね……お前のような生き物は」
それは誰の言葉だったのか。
鏡の奥には客の奥方の姿があった。
頬を涙で濡らし、鏡を叩くように何かを訴え、口を開く。
「あ、……貴様は……っ」
「異界のうつし身、鏡へと囚われておしまい。お前など、我が手を濡らす価値もない」
その微笑み。
悪魔のような、と表現するのが一番いいだろうか。
艶やかで、残酷で。
それでいて人を惹き付ける。
「野暮は嫌いなんだ」
その言葉が引き金となり、鏡から無数の影が伸びる。
それは奥方の無念の意思の現れなのか。
あっという間に客を捕らえ、その深い闇の世界へと取り込んでいってしまう。
今わの際の絶叫すら上げる間もなく。
「己の罪は己で償うがいいさ……」
支那服の裾を軽やかに舞わせ、店主は踵を返した。
片目眼鏡の瞳はもう、漆黒の闇色だった……
鏡に映るもの
それは真実か偽りか
知る者は、誰もいない……
End.
あとがき
やってまいりました、眠れぬ夜のお題バトル。
なんだかもうお馴染みになってきましたね(笑)
テーマは「鏡」、お題は「文字」「悪魔」「くもり」「うつし身」
構想はやっぱり書きながらで、仕上げるまで1時間超過。
今回のオーバーは15分ほど。
といっても、最初の10分近くはBGM選択であーでもないこーでもないやってた結果です(苦笑)
書き始めた直後まで飲んでいたお酒。
バトルにお誘いいただく直前まで練っていた和物のプロット。
それが相まってこんな話が生まれてしまいました。
妖しく、煙管の似合う、気風のいい姐さん。
なんだかやたら評判良かったんですが(笑)
ちょっと人外な要素を持っているにも関わらず、なのでちょっと不思議。
これで6本目のお題バトル作品ですが、登場人物の名前を出さなかったのはこれが初めてです。
名前なしでもなんとかなるものですね。
プロット練っている作品のプロトタイプ的なものになったのは内緒です。
ええ、たぶん内緒です。
同一お題参加者様
月葵さん
無我夢中さん
callさん(今回の特別ゲスト様)
小説トップ サイトトップ