「ねえ、知ってる? 神様から堕とされた天使の話」

 ほろ酔いになると、夕菜(ゆうな)は唐突に切り出した。
 俺、海斗(かいと)と夕菜は友達以上恋人未満。
 ちょっと気になる飲み友達、ぐらいの間柄だ。
 新しくできたというバーに飲みに行って、料理も酒もある程度進んだ頃。
 夕菜は話を切り出し、空になりそうなカクテルグラスを手の中で軽く弄びながら俺の答えを待っていた。

「知ってる?」
「あー……なんだっけ。堕天使ルシファーだかが有名だっけ」

 記憶の片隅にある名前をようやく思い起こし、やっと口に出す。
 けれどそれは夕菜が求めているような答えではなかったようだ。
 グラスを置き、つまらなそうに縁を指先で弾いている。

「ルシファーは神様が創ったっていう魔界だか地獄だかに堕とされちゃった天使でしょ。私が言いたいのは、そこじゃないの」

 僅かな不機嫌さを語彙にはらんで、夕菜は言葉を続けた。

「そういうところじゃない場所に、堕とされた天使の話」
「地獄だかじゃない場所に堕とされた……?」

 それは充分に俺の興味を惹くものだった。
 夕菜が飲み干すのを見計らって、あらかじめ注文しておいたカクテルがバーテンダーによって彼女の前に差し出される。
 ブラック・レイン。
 夕菜が一番好きなカクテル。
 フルートグラスが店内の照明で輝きを反射させる。
 よく磨かれている証拠だ。
 僅かにブラック・サンブーカの漆黒色に染まったシャンパンの気泡を眺めながら、彼女は二の句を告ぐ。

「そう……地獄とかじゃなくて、ここ……地上に堕とされてしまった天使がいるの」

 それは、こんな話だった。








 神と天使戦いが終わり、永い永い時が経過した。
 神が生み出した人間は互いに争いながらも成長を重ね、彼らなりの文明を築いていった。
 ある時、人の文明に興味を持った天使がいた。
 人々に恩寵と勇気を授けるもの……『地上の奇跡』を司る力天使ヴァーチューズの一人だ。
 かの天使は、人の文明が生み出したものの一つにいたく心を奪われてしまった。
 その魔性とも言うべきもの。
 それは、今もなお受け継がれている『酒』という文化だった。
 己の任を忘れてしまうほどに酒に心奪われた天使は、神によって地上に堕とされた。
 ある一つの条件をつけて。

『そなたの心を奪った酒を以って、人の子に幸いをもたらしなさい』

 天使は、神の言葉を得て、純白の翼を失って地上へと降ったという……








「へえ……酒が原因、とはね」
「自分もお酒好きだからかな。この話を聞いて、すごく印象に残っているの」

 話しつつ傾けていた互いのグラス。
 俺も彼女も、いい加減飲みすぎた部類に入るだろう。
 まだ思考がはっきりしているとはいえ。

「酒で人に幸いをもたらす、か……」

 呟くように、俺はその言葉を反芻する。
 手の中のダーク・イン・ストーミィの氷はだいぶ溶けてしまった。

「私は、幸せだけどな。美味しいお酒とお料理。そして気兼ねなく飲める相手」
「夕菜……?」
「だから、もしも……ね。もしも堕ちた天使と会えたら、私は言いたいよ。お酒に幸せもらってるって。海斗という相手に出会えた事を感謝してるって」

 照れたように微笑んだ夕菜が、なんだか眩しかった。










 バーから出ると、外は雨だった。
 傘が必要なほどではないが、地下鉄の駅までは近い距離ではない。
 俺が少し迷って雨の空を見上げていると、夕菜が不意に腕を絡ませてきた。

「少しくらい、濡れてもいいよ。一緒に帰ろっ」

 言うが早いか、そのまま走り出す。
 苦笑しながら俺も駆け出した。










 天にまします父よ……
 俺は、懐かしい言葉を聞きました
 今ここにいる、この地上で




















   End.


あとがき

釣り糸に釣られてみました。
はい、毎度お馴染みのお題バトルです(笑)
今回釣れた人が多かったので、2グループに分かれてのバトルと相成りました。
テーマは「黒」、お題は「カクテル」「照明」「地下鉄」「雨」
最初の構想は少しアダルティなものでした。
でも気に食わなくて破棄して、ふと浮かんだ「酔いどれ天使」という単語を元にざかざかと。
おおむね1時間で書き上げました。
最近、途中破棄して方向転換って多いな……(汗)
今回、仕上がってみれば非常に珍しい作風になりました。
ほのぼのとしてて、現代物で、そこはかとなくファンタジーで。
なんだか頭の中が現代物に占拠されつつあるようで、危険ですっ(笑)
今回特にこだわったのは、カクテルの種類。
テーマとお題を踏まえて、雰囲気良さそうな物をチョイスして。
「ブラック・レイン」は故・松田優作さんを偲んで捧げられたカクテルだそうです。
珍しい漆黒のリキュールは、なぜだかすごく心惹かれまして。
またどこかで使うかもしれません。
今度はもう少し艶のある話を書いてみたいな、と思いつつ。

同一お題参加者様
鏑坂 霧鵺さん
中原まなみちゃん
ふっちょ(Aquaphoenix)さん


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