過去は振り返らない……哀しみで手を満たさないために
 現在は顔を上げて……気持ちを受け止めるために
 未来は前を見据えて……まっすぐ歩んでいくために







 手の中にある、古い古い懐中時計。
 ツヤのない鈍い銀色をした円形のそれは、蓋の部分に丁寧な細工が施されている。
 時を刻む三人の女神たちの姿が、意匠深く細工されている。
 かちり、と蓋を開ければ時を刻む針と、それを動かすための歯車が見える。
 静寂に響く、時の音。
 規則正しく鼓動のように。
 途切れる事のない音。
 終わりのない音。
 けれど巻き戻す事の叶わない時を刻む音。
 ぱちん、と蓋を閉じて手からすべり落とすと、しゃら、と澄んだ音を立てて懐中時計の鎖が鳴る。

『私』の手から離れる事のない、懐中時計。
 その鎖はずっと『私』を縛り続ける。
 重い名……役目という名の鎖。
 懐中時計と『私』を繋ぐ鎖は、儚いものではなかった……




 ぱたん、と分厚い本を閉じる。
 革張りの装丁をされたその本は、四つ角に金属の装飾板がはめられていて見た目にも瀟洒な物だ。
 書き人知らずのその本は、気がつけば私の手元にあった。
 本の収集が趣味だった祖父が遺した物かと最初は思ったけれど、それもどうやら違うらしい。
 祖父と同じ学者の道を歩んだ父に問いただしてみれば、そんな本は知らないという。
「なんで私の手元にあるんだろう……」
 本の角を指でつつきながら、私は一人ごちる。
 私は父とは違い、むしろ母の影響で魔術師の学院へと進んだ。
 師匠から杖を授かり、成果もそこそこ上がったせいか研究室として一室を与えられるようになるまで約二年。
 我ながら早い方だと思う。
 師匠には素質があると見込まれ、兄弟子にはやっかみ混じりの嫌がらせを受ける。
 男が女に嫌がらせをする時点でサイテーだと思うけれど。
 私は、もう一度本の表面を指でなぞる。
 タイトルは『月の杯 太陽の針』とある。
 古い古い、今はもう忘れられた古代帝国の言葉で書かれた本。
 不思議な内容だ、と思う。
 けれど、私の手元にあるのは偶然なのだろうか。
 ゆったりとしたローブの下に着ている服を少し探ると、目的の物はすぐに見つかった。
 しゃら、と鎖の音を立てて手の中に収まったのは古い銀の懐中時計。
 神話で語られる時の三女神が意匠を凝らした細工で蓋を飾る。
「似ている……よね。本の中に出てくる懐中時計と」
 確かめるように蓋を開ける。
 ゆっくりと変わらない速さで時を刻む針。
 その針を動かすために絶え間なく回転している歯車。
 ――ただの偶然にしては、できすぎている。
 そもそもこの時計は、学院のある街で開かれたお祭りの時に露店で買ったものだ。
 店を出していた少し胡散臭げな老婆は、私が時計を手にしたのを見るや否や破格の値段を告げた。
 どうしても買わせたい雰囲気もあっただろうけれど、この時計を気に入ったのも事実だった。
 そんな経路で今、私の手の中にあるこの時計。
 そして『私』の一人語りの本。
「……必然、なのかな」




『私』は夢を見る。
 遠い、どこか知らない場所にいる。
 そこに『私』ではない『私』がいる。
 けれど、時を刻む銀時計は共にある。
『私』が『私』であるがゆえの証……
 時を刻み、すべてを見守る、証であり戒め。
 定められた責から逃れられない、『私』を繋ぐ鎖。

 もう忘れてしまっただろうか……かの世界の人々は。
 もう忘れてしまっただろうか……夢に溺れた人々は。
 もう忘れてしまっただろうか……永遠を望んだ人々は。

 もう、呼ばれる事はないのだろうか……
『私』が『私』である、もう一つの『証』を……




 不思議な夢を見た。
 あの本の夢だった。
 白いローブをまとった銀青色の髪の人が、本に出てくる『私』だと直感的にわかった。
 たぶん、男の人。
 そして私と同じ蒼穹色の双眸。
 手には鎖が繋がれていて、痛々しかった。
 そして、その手の鎖の先にはあの銀の懐中時計があった。
 不思議な夢。
 けれど、不思議な巡り合わせなのか。
「銀時計……プラータ……」
 不意に、口をついて出た言葉。
 それはどこか懐かしくて、どこか甘い響きだった。

 私の名、スィリエと同じ意味を持つ言葉だと知るのは、ずっとずっと後の事となる。






 過去はその胸に……あなたが在るべき糧だから
 現在はその手に……あなたの前に広がるものだから
 未来はその先に……あなたを導くものだから




















   End.


あとがき

深夜のお題バトル、3度目です。
今回は深夜というよりもすでに早朝でしたけどね(苦笑)
テーマは「時計」、お題は「円」「巻き戻す」「回転」「音」
構想は書きながらで、仕上げるまでだいたい1時間。
今回はなんとか時間内に終わらせる事ができました。
最初はやっぱり現代物……それも悲恋を書こうとしていました。
ええ、冒頭の一文の「古い古い〜」から「〜鎖が鳴る」までは。
恋人の形見としてのモチーフで懐中時計を使うつもりでしたから。
でも次の一文を書き出したあたりからなんだかおかしくなって、ファンタジーに。
本と現実がリンクする、不思議なファンタジーになってしまいました。
ほんの少しだけ悲恋要素も不確定で入っているかも……?
ですが意外なほど好評で。
正統派ファンタジーの長編のプロローグ的だとお言葉をいただいてしまって。
ついでに続編を望まれてしまって。
続きをリクエストされたのは初めてで、驚いたと同時にすごく嬉しかったです。
時間を作って、じっくり腰を据えて書いてみたいですね。
思わず張ってしまった伏線消化のためにも(笑)
そしてお題バトル前に、とあるサイトさんを教えてくれた知人にも感謝。
そのサイトのおかげでイメージが固まって書きやすかったです。

同一お題参加者様
月葵さん
JINROさん
callさん(今回の特別ゲスト様)


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