遠い遠い昔。

 季節の多くを雪で閉ざされた土地があった。

 そこには氷の魔物が住み、近隣の村々に恐怖を与えていたという……











「最初はおとぎ話かと思っていたわ。よくある昔語りの一つだと」

 腰ほどまである髪を揺らしながら、少女は口を開いた。
 毛皮に縁取られた防寒具の上から縄でがんじがらめに縛られ、冷たい床に横座りになっている。
 しかしそんな状態でも、その少女の容貌は際立っていた。
 僅かに赤みがかった紅茶色の髪と、大きな瞳。
 利発そうでいて、どこか気が強そうで。
 薄紅色の唇から白く曇った吐息がもれた。

「それが絵空事じゃないとは、わかった。けれど、どうしてあたしが縛られてこんな場所に連れてこられなきゃいけないのよ!」

 少女の言う、こんな場所――それは氷の魔物の居城。
 魔物たちから氷の城『シュタール』と呼ばれる場所。

「あたしは、雪山の麓の村の宿に確かにいたはずなのよ」

 食事にでも一服盛られたのだろうか。
 その村に伝わる古い話程度に聞き、少女が一人で旅をしてきた事を訊ねられ、そこからの記憶が途切れている。

「お前はグラキエス様への捧げ物に選ばれたのさ」

 少女の目の前に立つ、青銅人形のような姿の魔物が口を開いた。
 流暢な人の言葉。
 表情こそわかりにくいものの、語感から少女は自分が嘲笑されたのだと気付いた。

「グラキエス、様……? そもそも、なんで捧げ物なのよ。あたしの都合はどうなるのよ!」
「供物にするには、余所者はちょうどいいんだろう。人間の都合など我らには関係ないがね」
「関係あるわよ! なんで供物になんかされなきゃいけないのよ!!」
「生き延びたければ我が主の機嫌を損ねないことだな。まあ、命がいらないというなら話は別だが」

 青銅の魔物は、それだけ言うと踵を返した。
 もう少女に用はないと言わんばかりに。

「ちょっ、ちょっと……待ちなさいよ!」

 少女の声は、氷の城に空しく響いた。











 氷の城に連れてこられてから、どれほどの時間が経っただろうか。
 外の景色も空も見えず、時間が推し量れない。
 腕や身体だけではなく足元さえも拘束されている少女は、思うように動く事ができない。
 冷たい空気が、身を切るような痛みをもたらす。
 防寒具を身に付けているだけ、まだマシなのかもしれない。

「……寒い。寒いったら寒い! あー、もー!! 縄ぐらいほどけーっ!!」

 けれど少女はめげずに喚いていた。
 その気力はどこから来るのか、というほど声高に、矢継ぎ早に口を開く。

「こんな寒いところに、か弱い乙女を放置しておくなんて絶対どうかしてるわ!」
「淑女(レディ)ならそのように声を上げないと思うけれどね」

 不意にかけられた声。
 足音も、気配もなかった。
 しかし蝋燭の燭台を手に持った人物は、確かに少女の前に静かに立っていた。
 白銀の少し長い髪と、蒼い双眸。
 誰もが息を呑むほどの人間離れした美貌を持った青年だった。

「あなた……誰?」

 数瞬の間を置いて、少女は言葉を紡いだ。

「僕かい? 僕はこの城の関係者だよ」
「……という事は、あなたも魔物?」
「さて、ね」

 少女の質問をはぐらかすかのように青年は微笑んだ。
 だがそれはさほど重要でなかったのか、少女はすぐに次の質問を投げかけた。

「関係者だというなら、待遇の改善を要求するわ。いくら供物だ捧げ物だ言われても、縛られた上にこんな寒い部屋にずっと転がしておくつもり?」
「供物……? ああ、君がそうなのか」
「なに一人で納得してるのよ」
「名前、聞いてもいいかい?」

 青年の問いは、逆に少女の不意をついた。
 深い水のような蒼い瞳で見つめられ、少女は思わず後ずさりそうになった。
 縄がぐるぐる巻きなので後ろに倒れそうになっただけだが。
 その体勢をなんとか直し、ひと呼吸置いて聞き返す。

「女性に名前を尋ねるときは、まず自分から名乗るのが礼儀でしょう?」
「ああ……これは失敬。僕はアスール。改めて名前を聞いてもいいかな」
「……シュネー。シュネー・ヴァイスよ」
「シュネー、か。古い言葉で雪の姫だね……よく似合っている」

 アスールはもう一度微笑むと、燭台を置きシュネーの縄をゆっくりと解いていった。

「……勝手に解いたりして、あなた怒られないの?」
「けれど、シュネーも寒いだろう? あんなに解けと喚いていたじゃないか」
「あたし喚いてなんて……」

 痛いところを突かれ、シュネーは口を噤むしかなかった。
 しかし、寒さと縄の痛みもあっていい加減解いてほしいと願っていたのも事実だった。

「おいで。暖かい物を用意するから」
「……ほんとに?」
「ああ。この地下以外は、この城もさほど寒くはないからね」

 再び燭台を手にしたアスールは、もう片方の手をシュネーに向けて差し出した。
 少し拗ねたような、照れたような。
 そんな複雑な表情を浮かべ、手を重ねる。
 青年の手は、シュネーが想像していたよりもずっと温もりに溢れていた。











 シュネーへと割り当てられた部屋は、本人の予想を裏切ったものだった。
 暖かな配色、とはいかなかったが、すっきりと調度が整えられ統一感がある。
 セピア色の家具と、透明感のある色調の布類。
 シュネー本人、この部屋をわりと気に入っていた。
 部屋以外にもそれなりに自由に歩き回れるには歩き回れるが、シュネーには一つの懸念があった。
 それは、城の主である氷の魔物と一度たりとも会っていない事だ。
 他の魔物たちも、その事については一切口を開かない。
 すっかりシュネーの話し相手と化していたアスールとて、それは例外ではなかった。

「ねえ、アスール。あたしって城主への供物よね?」
「そう言って連れて来られていたね」
「それなのに一向に会えないっていうのはどういうこと?」
「シュネーは会いたいのかい? 城主様に」
「だって理不尽だわ。あたしの意志でなく連れて来られたっていうのに。勝手に供物にされたっていうのに」

 末広がりのドレスの袖を軽く振り、シュネーは力説する。
 そのドレスは淡い薔薇色をしており、紅茶色の髪との色合いもあってよく似合っていた。

「……まったく。杖さえあればな」
「杖、かい?」
「伊達に女の一人旅をしてきたわけじゃないんだから。あたし、これでも紋様魔術の継承者なのよ」

 紋様魔術。
 それはこの世界に数ある魔術の中でも、秘術中の秘術と言われている。
 身体のどこかに刻まれた紋様がなければ使う事ができず、その紋様も刺青などでは意味を成さない。
 紋様を介して魔力を喚び起こし、自身の持つ杖によってその魔力を術へと変換させる。
 学べば誰もが扱えるというものではなく、非常に使い手を選ぶ魔術なのである。
 そんな紋様魔術の使い手であるシュネーだが、いかんせん杖がなければその魔力も行使のしようがなかった。

「……紋様魔術、か」

 その単語を聞き、反芻するように呟きを洩らしたアスールの表情は、僅かに翳りを見せた。
 しかしそれも一瞬のこと。
 シュネーが気付くよりも先に、彼はその表情をいつもと変わらぬ穏やかなものへと戻した。
 手を伸ばし、そっと紅茶色の髪を撫でる。

「シュネーはかなりの魔力をその身に秘めているという事だね」
「……見かけによらないって言いたいんでしょ」

 シュネーは素っ気なくそれだけ言うと、少しだけ頬を膨らませた。
 少し幼めの外見が、その仕草によりさらに幼く見える。
 そんな様子に微笑みをこぼしたアスールは撫でる手を止め、はっきりと告げた。

「――この城から出れるよう、城主様へ取り計らおう」
「アスール……?」

 シュネーが彼の微笑みと姿を見たのは、これが最後だった。











 食料と旅に必要な道具類、防寒具を含めた衣類。
 そして細工の施された長柄の杖。
 それらがひとまとめにされてシュネーの前に鎮座していた。

「……で?」

 彼女は不機嫌な感情も露わに、持ってきた青銅の魔物を睨み付けた。
 睨み付けられた魔物はさして気にした様子もなく、淡々と言葉を繰り返す。

「シュタール城から出て行って良し、せめてもの手向けにこれらを使え。そう、グラキエス様からのお達しだ」
「ご丁寧に杖までつけてくれちゃって……あたしが紋様魔術師だって伝わってるわけ?」

 つまらなそうにシュネーは長杖を爪弾いた。
 もともとのシュネー自身の杖は、かつて立ち寄った村に置きっぱなしだった。
 供物として連れて来られた時点で恐らく荷物の類は処分されているだろう。
 新たな杖を得る事には別段異存はないが、それを術行使可能な杖にするためには自身の魔力でゆっくりと慣らしていくより他ない。
 今ここで杖で与えても実害はないとの判断なのだろう。
 それだけでも城主が魔術系統に精通しているとわかるだけに、シュネーは余計おもしろくなかった。
 しかし、青銅の魔物から返ってきた答えは意外なものだった。

「自分が紋様魔術師である事に感謝するんだな」
「……は? なんで?」
「知ってても教えるか」
「……あっそう。バカにされたもんだわ」
「その杖だけは死んでも大切にしろよ。グラキエス様の奥方様の物だからな。……なぜお前なんぞに渡す気になられたんだか……」
「……城主の、氷の魔物の奥方……? ならなんで捧げ物とか必要なのよ!」
「…………奥方様は、もう亡くなられているんだ。わかったらとっとと行け」

 思いがけない言葉。
 今まで供物として連れて来られた者達がどうなったかわからないが、自分だけはなぜか解放されようとしている。
 しかもご丁寧に旅支度一式を揃えられて。

「……バカにされたもんだわ」

 シュネーは、もう一度同じ言葉を繰り返した。
 城主の奥方の形見だという、長杖をぎゅっと握り締める。

『――我が身に宿りし水の紋様よ。その漣の煌めきを以ちて我が魔力と成れ』

 その薄紅色の唇から紡がれるのは、力ある言葉。
 シュネーを中心として力場が形成され、一気に魔力が溢れ出てくる。
 初めて手にしたはずの杖は、意外なほどしっくりと馴染んでいた。
 まるでずっと長い時間を共に過ごしてきたかのように。

『我が真名のもとに命じる……水よ、猛き刃となれ!』

 足元から生まれた一筋の水。
 それは鋭さを宿した水の刃となり、青銅の魔物を切り裂いた。

「貴様……っ。なぜ魔術を……!」
「さあね、あたしも意外だわ。初めて手にした杖で、こんなにもすんなり術が使えるなんて」

 切り裂かれた肩口を押さえて呻く青銅の魔物に、シュネーはすっと杖を突きつけた。
 溢れるような水の魔力のせいか、青い輝きを身にまとっているその姿は、どこか神秘的だった。

「さあ、案内して。城主のもとへ」











 そこは氷と水晶に彩られた部屋。
 冷たい光彩を放つそこにいたのは、気だるそうに身体を伏せていた魔物。
 氷を身にまとった大きな狼……それがシュタール城城主、グラキエスの姿だった。
 シュネーによって無理矢理案内させられた青銅の魔物は、畏怖の感情も露わに慌ててその場を辞した。

「あなたが、城主のグラキエス……?」
「……ここまで来てしまったか」

 青の輝きをまとったシュネーの姿を認め、グラキエスはゆっくりと顔を彼女へと向けた。
 その深い蒼い色をした目はどこか悲しげで、シュネーを見つめた。

「できる事ならば、ここに辿り着く事なくこの城を出てほしかったが……」
「ずいぶんと勝手だわ。あたしの意志なんて一切お構いなしに連れて来て、挙句に放り出そうとして」
「供物にはなりたくなかったのだろう?」
「今まで捧げられてきた人達がどうなったかは知らないけどね。生贄じみた供物になんてなる気もないけれど、何も知らないまま放り出される気もないわ」

 真っ直ぐとグラキエスの姿を見据えたまま、シュネーはきっぱりと告げた。

「奥さんの形見みたいな杖をいきなり渡されたり……それに、アスールはどうしたのよ。あなたに取り計らうって言ったっきり姿見てないのよ」
「……アスールは、いない」
「いない……?」
「我が身と引き換えに、お前の解放を願った。私はそれに応えたまで」
「……じゃあ、この杖は?」
「私の妻もまた、紋様魔術の担い手であった」

 紡がれる言葉に、哀しみが含まれているという事はシュネーにも伝わってきた。
 グラキエスはもう一度シュネーを見遣ると、静かな声で言った。

「行け、人の子よ。私はお前を身代わりになどしたくはない」
「………、…………いで」

 ぽつり、呟いた言葉。
 堪えていた想いが、口をついて出る。

「……ふざけないでっ! あたしはアスールを失ってまで、自分だけ助かりたくなんかない!!」

 シュネーの身体に刻まれた水の紋様が、服の上からでもわかるほど大きく輝いた。
 まるで感情に呼応するかのように魔力がうねり、奔流する。
 そして、もうひとつの紋様が光を帯びた。
 それは複数の属性を宿した力……雷の紋様。

「なんであたしだけ……あなたがした事は、自分と同じ想いをさせる存在を増やしただけだわ」

 杖に、金色の光が宿る。
 青の輝きが揺れ、光を炎のように見せている。
 溢れ出る魔力のキャパシティは、すでに人の域を越えていた。
 しかしシュネーはしっかりと足を踏みしめ、立っていた。

『我が真名に於いて命じる……輝ける雷よ、ここに集え!』
「っ……なんという事を!」

 グラキエスが守護結界を巡らせるのと、シュネーの魔力が雷へと変換されこの部屋に落ちるのと。
 それはほぼ同時だった。
 すさまじい音がやみ、静寂が戻る。
 からん、と杖が転がるとシュネーは力なくその場にくずおれてしまった。

「……こんなあたしに、普通に接してくれたのはアスールだけだったのよ……」
「複数の紋様を持つゆえに、か……?」
「ええ、そう……それがわかると、あたしはどこに行っても忌み子扱い」

 ぽたり、と雫が落ちた。
 水晶の床を濡らしたのは、シュネーの涙。
 それはゆっくりと舞い落ちる雪にかき消されていく。

「哀惜の意、か……お前の涙は」
「どんな感情だったかなんてわからない。でも、アスールを犠牲になんてしたくなかった」
「お前という娘は……」
「泣いてほしくないよ、シュネー」

 雪がうっすらと積もっていく床を見つめるしかなかったシュネーの耳に、ふたつの声が重なって聞こえた。
 ひとつはグラキエスの声。
 そしてもうひとつは――穏やかな、アスールの声。

「なん、で……」

 ぼんやりと顔を上げたシュネーの前で、ゆっくりとグラキエスの姿が変化していった。
 冷たく輝く氷狼の姿が揺らぎ、ぼんやりと人の姿を取っていく。
 数回瞳を瞬いた時。
 目の前にはアスールがいた。

「どうして……? なんでアスールが……」
「このシュタール城の主の名は、グラキエス=アスール。ふたつの姿を持つ、氷の魔物……」

 寂しげに微笑むアスールは、静かにシュネーへと歩み寄った。
 床へ膝をつき、少女の視線に合わせる。

「助けたかったんだよ、君を。自分の姿を失ってもね」
「……ばか」
「失ったはずのこの姿、自我……どうして戻れたのかはわからない。きっと、シュネーのおかげだね」
「……ばかばかばか」
「おいで、シュネー……君は身代わりなんかじゃない」

 アスールは、ゆっくりと身体を抱き締めた。
 互いの温もりを確かめるように。

「僕の聖女だ……」

 涙に頬を濡らしたシュネーの紅茶色の髪に、雪が小さなティアラを作り出していた。




















   End.


あとがき

はい、お題バトルです。
すでにお馴染みです(笑)
今回は初の2時間バトルに挑戦しましたっ。
テーマは「聖夜」、お題は「純白」「プレゼント」「聖女」「哀惜」
ぼんやりとした構想のまま書き始め、たぶん2時間内で仕上げられたと思います。
……たぶん(汗)
わりと現代物に向くお題ですよねぇ、これって。
それなのに変な使い方したせいでファンタジー物になっちゃいました。
捻ったとは言いません。
変な使い方です。
ラスト近く、いっぱいいっぱいになっていたせいかオチに苦しみました。
それゆえに伏線の明かし方が安易になってしまい……
ちょっと悔やまれる結果となりました。
掲載やめて、リライトして短編としてアップしようと思ったくらいですもん(苦笑)
基本的にはよっぽどの事でなければ掲載するように自分的ルールがあるので諦めましたが……
初の2時間は、いろいろ実入りと反省点のあるバトルでした。

同一お題参加者様
久能コウキさん
月葵さん


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