第四章 過去から
―In the past―
「なんですって!」
新宿は妖魔辻のアレキサンドライトの店内に、颯姫の驚愕と怒りに満ちた声が響いた。
外の扉には相変わらず『CLOSE』のプレートが掛けられているままだ。
「楓さん、もう一度言ってください!」
「……颯姫、もう少し落ち着きなさいな」
声を荒げる颯姫に対して、紫城はなんとかそれをなだめようとしていた。
しかしその声は届かずに昂ぶった感情は抑えられる事ができなかった。
不意に変わる気配。
陽炎のような揺らぎが颯姫を包み込む。
金茶の長い髪と蒼の双眸は、輝くばかりの黄金(きん)色へと変貌していた。
妖魔の『血』を母親から受け継ぐ颯姫は、自らの感情が抑え切れなくなった時に真実の姿を現す。
それが、今の姿であった。
「落ち着いたら何度でも話してあげるわ。とりあえずは、その姿を何とかなさい。いくらこの店が私たちのようなフリーの『術者』がよく集まる場所だとしても、見られてもいい姿ではないでしょう? ここにはMIAの方も来店されるようだけれど」
紫城は小さい子供をあやすかのように、優しくも静かに言った。
MIAとは。
Mystification = 超常現象
Intersept = 迎撃
Association = 組織
これらの単語の頭文字を取った略称で、現代に現れる妖魔たちと戦うために組織された非公然団体である。
このMIAに所属していない『術者』たちの事を、フリーランサーと呼んでいる。
颯姫と紫城は自らの体内に流れる『血』もあり、フリーの『術者』として活動していた。
「むやみに自分の真実の姿をさらけ出すものではないわ。落ち着きなさい」
紫城はゆっくりと言葉を紡ぐ。
最後は強い意志を宿したかのような声。
決して強く荒い口調ではない静かな声なのだが、意志が伝わってくるような、心に直接響くかのような話し方だ。
それは言葉だけでなく、瞳もまた同じだった。
その双眸には、強く輝く炎を思わせるかのような光が宿っている。
「はい……」
ようやく心の平静を取り戻したのか、颯姫は声を静めた。
身体に現れていた黄金の輝きもそれに呼応するかのように、ゆっくりと淡く消え去っていく。
「取り乱してしまって、申し訳ありません……」
「あんな事を聞いてしまえば、誰だって心を乱してしまうわ。それは仕方のない事よ。ただ、あなたの場合は感情が昂ぶりすぎてしまっただけのこと……」
申し訳なさそうにうなだれる颯姫の頭を、紫城は軽く撫でてやった。
それはまるで、娘を見守る母親のようだった。
「もう一度、話していただけますか?」
「――あなたには辛いだろうけれど、もう一度……話しましょう」
紅唇がゆっくりと開かれ、紫城は語り始めた。
事の始まりは一週間前だった。
京都市内で店を構える紫城のもとに、とある依頼が舞い込んだ。
いわゆる『裏』の筋から入ってきた仕事だ。
理由と原因はわかっていないが、なぜか妖魔純血種の女性術者ばかりを狙った襲撃事件が多発していた。
それも、四大元素の中でも『火』に最も親密な術者ばかりだ。
火の妖術師である焔法師や召喚師。
ヨーロッパから流れてきた、地水火風の元素を結合させて行使する元素魔術(ブラックワード)を扱う『ウィザード(魔術師)』
これら三つの系統の魔術の使い手である女性ばかりを、集中的に狙う。
その原因究明とできるならば、と襲撃者の排除を依頼された。
依頼主は紫城の身を心から案じていた。
いずれ彼女にも攻撃の手が伸びないとは限らないからだ。
紫城は苦労しつつも集めた少ない情報の中から、男女二人の人型妖魔がこの事件に絡んでいるという答えを導き出した。
当然のようにMIAも人員を派遣して事件を解決しようと試みていた。
MIAに登録されている女性術者の中には、少なからず妖魔の血を継いでいる者もいたのだ。
しかし、それらはことごとく返り討ちに遭ったようだった。
紫城は、静かに瞑目した。
「そして私は、その妖魔たちと対峙した……互いに強い力を感じて」
その口調はいつになく淡々として、硬いものになっていく。
何かを拒否するかのように。
妖魔の方も紫城の力を感じたのか、紫城も望んでいたのか。
どちらともなしに互いの存在を感じ取り、そして相見える結果となった。
そして紫城は妖魔に問うた。
なぜ、妖魔純血種の術者ばかりを狙うのかを。
なんの目的があって狙うのかを。
ただ、祈りたい気持ちにも似ていて。
ある種の予感めいた想いを否定したくて。
そして妖魔は答えた。
皮肉げな笑いを浮かべながら。
訳あって、ある家系の血筋を根絶やしにしたい。
しかし最後の血を継ぐ者を狩り損ねてしまった。
それが人の世で言う六年前の事だ。
幼かった少女は成長しただろう。
我らの刃に沈む瞬間に覚醒してしまったのだから。
だが、求めてやまない少女を捜す手立ては、我々にはない。
その少女は火によって覚醒した。
ゆえに、火を扱う術者へと成長したであろう。
妖魔の『血』の有無は、本能でわかるもの。
よって我らは、妖魔純血種たる火の術者ばかりを狙ったのだ――と。
「妖魔の言っている、捜している少女が颯姫である事は、すぐにわかったわ。六年前に、颯姫は私のもとへ来たのだから……」
紫城は懐かしむような、けれど哀しげな憂いを含んだ表情をその瞳に見せた。
どこか遠くへ想いをはせるように。
そんな紫城の表情を、颯姫はこの六年間でまったく見た事がなかった。
そのせいか、なにも言えなくなってしまう。
「楓さん……」
しばらくの間、店内には時を刻む掛け時計の針の音だけが響いていた。
気がつけば戦いは始まっていた。
紫城からしてみれば、弟子であり、妹のような、そして娘のような颯姫の連なる『血の時代』からの敵。
妖魔からしてみれば、捜している当人ではないにしろかなりの実力を持つ妖魔純血種であり、憎むべき敵であり、そして火を扱う事のできる術者。
ほんのひと呼吸の時間。
その次の瞬間には両者の感情がぶつかり合った。
戦況は紫城が不利であった。
ただでさえ二対一という数の面での不利があり、精霊を喚び出しつつ戦うものの、魔力の消費が著しく激しかったのだ。
しかし紫城は精霊に愛されていた。
息の合った見事な連携が功を成し、致命傷に至る決定打を妖魔へと与えた。
旗色が悪いと少なからず思った妖魔たちは撤退していった。
必ず貴様を殺す、という言葉を残して。
紫城はすべてを話し終えると、小さく溜息をもらした。
「この事をあなたに伝えるために私はここへ来たのよ、颯姫。いつか必ず、あの妖魔たちがあなたに襲い掛かってくると。――あなたのご両親と妹さんを殺した、妖魔たちが」
――本当は伝えたくなかった。
そんな哀しげな感情が、紫城の表情から見て取れた。
本当は自らの手で、すべてを片付けてしまいたかったのかもしれない。
なぜならば。
紫城は予感していたのだ。
あの妖魔たちとの戦いは颯姫にとって、おそらくは最も過酷で辛く、そして哀しい戦いになるであろうという事を。
「……父と母は、何らかの戦う術を持っていました。それは、両親の真の姿は、あの妖魔に襲われるまで私も知りませんでした。あの時、私と妹の弥姫(みき)はなんの力も術も持っていなかった。けれど私はあの日を境に覚醒し、力を得ました。家族を失うという代償によって……」
颯姫は軽く目を伏せ、静かに言った。
言葉の裏に隠れる感情を悟られまいとするかのように、穏やかでいて静かな声で。
今も鮮やかに思い出せる。
忘れる事などできない過去を。
目の前で起こった惨劇を。
両親と妹との幸せと安らぎの日々を。
そして、それを破壊した妖魔の顔を。
「今では一条の家も、私一人きりになってしまいました。連なる血族のすべてを消すために、一族の皆が犠牲になってしまって……」
「颯姫……」
颯姫の内に潜む静かなる闘志と意志を、紫城はたやすく見抜いていた。
しかしそれは、癒す事も、どうする事もできない深い哀しみの表れでもあった。
「一条の家は、昔からあの妖魔と戦ってきた家系なんだそうです。それはちょうど、第二次妖魔戦争の終焉が見え始めた頃からのものだと、本家の書物で知りました」
一条家の歴史は古く、本家は京都にあった。
遡れば平安の頃、五大摂関家の一つであり、藤原家との繋がりも深いものだという。
颯姫は紫城のもとに身を寄せていた時に、すでに廃墟と化していた本家の屋敷を訪れており、多くの古文書が収められていた地下室を発見した。
多くの書物は傷みがひどかったが、読み解いていく事のできる物はいくつかあった。
それらの書物から、古くから人知れず続いてきた一条家と妖魔との戦いを知った。
そして一条家最後の一人として、あの妖魔たちと戦わなければならない事を知った。
戦いに終止符を打つために。
それは妖魔と自分、どちらが倒れる事になるのか。
結果すらも見えない、永い時を経た現代まで続く戦いの行く末。
しばらく考え込むように沈黙を守っていた紫城が口を開いた。
「私はあなたに戦う術を教えたわ。そしてあなたが望んだ、妖魔の力の使い方も。けれど、それによって自分を見失う事などないように、と同時に教えたはず」
最初は優しく語るように、しかし最後は叱咤を込めた厳しい口調で。
「忘れた事は、一度たりともありません」
「ならば……」
紫城は颯姫に向かって、そのしなやかな手を差し伸べた。
浮かぶ表情は、かつての師としてのものではない。
対等な相手を、戦友を、仲間を迎え入れる眼差しからの柔らかな笑みだった。
「ならば、私と共にいらっしゃい。あの妖魔との戦いに終止符を打つために。封印する事はないわ。浄化し、消し去るのよ……存在自体を」
封印などという甘さの一切ない紫城の言葉に、颯姫は自らの決意を固めた。
そして静かに紫城の手を取る。
「――はい」
永い時の末の戦いが、最後の戦いを迎えようとしている。
それは、どちらが倒れるとも知れない、未来の見えぬ戦いでもあった。
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