第七章 極上の盃
―Glass of the best―
チン……
硝子のグラスが触れ合う、涼やかな音。
そのグラスの中身は真紅の液体。
独特の香りを漂わせていた。
女が白い喉を鳴らしながら、真紅の液体を飲み干す。
グラスから離した濡れた口唇は、液体と同じくらいに深い紅色をしていた。
「まんざら悪くないわね、これは」
「気に入ったか」
「ええ。けれど良いという程でもないわ。良くもなく、悪くもなく。平凡な『血』にしてはいける方だけれど。魔力を回復させるだけなら、充分だわ」
ただ物足りないけれど、と女は付け加えた。
二人が口にしていたグラスの中身は、すなわち『血』であった。
うら若い、乙女たちの生き血。
それは妖魔たちにとって、己の力を回復させるために必要なものでもあった。
「術者である女たちの血は手に入りにくい。今は我慢するのだな」
「そうね……あの極上の血は、ね……」
男と女は、意味深げに言葉を紡いだ。
人間の『血』と『精気』は妖魔たちに活力を与えるものなのだが、普通の人間とはかけ離れた能力と精神の持ち主である術者たちの『血』と『精気』は、妖魔にとって多大な力の源と成り得る。
研ぎ澄まされた五感。
使いこなされた能力。
限りなき力への可能性。
そして、死へと打ち勝つ希望の思い。
それらすべての力と思いが、なによりも勝る活力となる。
「ふふ……あの男も愚かだったわね。私たちの仲間に、あの女の元の世界――妖魔界――に来るのならば、命だけは助けてあげると言ったのにね。つまらない意地を張るものだから命を落としたのよ……ほんと、馬鹿な男」
つまらないものを見るかのように、空になったグラスを長い爪で弾く。
安定を失ったグラスはゆっくりと弧を描いて落ちていった。
数瞬後には割れ散る音。
言葉とは裏腹に、仮にあの男が仲間になると言ってきたとしてもいずれは殺したであろう。
一条の血筋を根絶やしにするために。
憎き血筋の者を抹殺するために。
その甘美な血で、自らの喉を潤すために。
「あの男と同じように、小さくて、臆病で、愚かな生き物なのかしらね。最後のあの小娘は」
「――さて、な。愚かなる者の結末が待つのか、もしくは果敢なる者の結末が待つのか。すべては、あの娘次第であろう」
男は皮肉とも取れる冷笑をその顔に浮かべて言った。
表情に含まれる微妙なニュアンスさえも女に気付かせないほど巧妙なものだった。
「我らの『血の晩餐』が『最後の晩餐』となるか、祝杯をあげる『祝いの晩餐』となるか。それはあの者たちと我ら次第。お前もせいぜい気を付ける事だな」
「――言われずとも。わかりきっている事を」
男の冷めた口調に、女はやや固い声で答えた。
妖魔たちは、仲間意識は持たないに等しいと言っても過言ではない。
ある種残酷でいて、情の薄いところを見せる。
たとえ集団で行動していたとしても互いに腹の探り合いを繰り返し、表情一つ変えずに見捨てる事もできるのだ。
弱肉強食。
力の弱き者は蔑まれ、力の強き者こそが真の支配者となれる。
ただ、一つの物事に執着する信念は持ち合わせているようだが。
この男と女の関係は、まさに妖魔の情関係を体現していた。
一条家の血筋を根絶やしにするために。
ただそのためだけに共に行動し、繋がっている妖魔。
目的のためならば容赦なく互いを見限り、切り捨てるだろう。
弱き者は必要ない。
それが妖魔の掟。
たった一つの、妖魔の掟。
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