第八章 闇に舞う
―It dances in the dark―
数時間後、アレキサンドライトには妖魔能力の『転移』で送られてきた一通の手紙があった。
書かれていた内容は手紙というには、あまりにも穏やかなものではなかった。
互いに決着をつけるため。
短い一文は、すべてを表していた。
そして決戦の場は、月の満ちたる夜……その日のうちに設けられたのだった。
中空にあるのは月。
周囲を照らすのは、ただ月明かりのみ。
星の瞬く夜空の中で満ちた月は皓々と輝き、大地に影を落とす。
東京郊外の地に、影は四つ。
その他に人影は見当たらなかった。
穏やかな風が頬を撫でていく。
「私たちの戦いに観客などいらないわ。そう……妖魔との戦いには、ね」
紫城は呟きを洩らすように、小さく言った。
風は彼女の長い黒髪をなびかせていく。
「随分な余裕の表れと取ってもいいのかしらねぇ……けれどその余裕の態度もここまでよ。思い切り残酷に、引き裂いてあげるわ!」
長い爪をかざした女の言葉が引き金となった。
紫城と女妖魔との戦いが始まる。
「この瞬間を、待ち侘びた」
男は低い声で言った。
喜びとも苦悩ともつかない複雑な表情は、やがて笑みへと変化する。
それは、狂気の笑み。
獲物を追い詰めた、野獣の眼。
「お前を滅ぼす、この瞬間を」
男の言葉にも颯姫はただ顔を伏せ、黙っていた。
いや、黙しているわけではなかった。
目の前に立つ妖魔に対する怒りや憎しみ、それらの感情のあまりに言葉が出なかったのだ。
六年前より、どんなに焦がれようとも一度たりとも対峙する事のなかった一族の敵。
そして、両親と妹の仇。
肩を小さく震わせてゆっくりと顔を上げた颯姫の双眸は、光が零れたような、黄金の雫を宿す。
感情がおさえられない。
「貴様らだけは……許せない……」
力が溢れ出る。
「貴様らだけは許せない!」
その刹那。
金色の光と紅蓮の炎が、夜の闇をも貫くかのように舞い上がった。
颯姫のまとう金の光と紅蓮の炎が舞い上がるのと時を同じくして。
紫城もまた、朱金の炎を陽炎の如く揺らめかせていた。
そして自身も愛し愛される精霊に呼びかけた。
「勇敢なる火の界の者たちよ
我が戦いに力を授けよ
火の界の王よ
来たれ我がもとへ
美しき灼熱の翼持ちし火の精霊が王
我が親愛なる友『朱雀』よ
我が肉体に宿りたまえ」
現れたのは、真紅の閃光。
暗闇を照らす光の如く。
灼熱の炎に包まれた、孔雀のような優美な姿を持つ精霊が紫城によって召喚された。
――朱雀。
最上位の、火の精霊。
夜闇に浮かび上がるその姿はどこまでも美しい。
そして喚び出された朱雀は紫城の頭上へと飛翔し、翼を羽ばたかせると同時に体内へと同化した。
その同化は一瞬の出来事であった。
精霊召喚術の一種『精霊憑依法』と呼ばれる、召喚した精霊を自らの肉体へ憑依させる魔術である。
「朱雀……あなたの力を借りるわ。あなたの炎の力を」
朱雀の持つ真紅の炎は朱金の輝きを持つ炎と完全に同化し、紫城のものとなっていた。
「ふん、小賢しい真似を」
女は舌打ちした。
以前対峙した事があるとはいえ、紫城の力量を多少なりとも見くびっていたからだ。
「我が体内に潜みし波動の力よ
極限まで高まりて
その姿を顕現せよ!」
女は言葉を紡ぎ、手に力を集中させる。
すると、女の手には一振りの長剣が握られていた。
霊魂が持つ霊力を操る『霊媒師』の魔術のひとつ、『武装変化』
己の霊力――気の力――を武器として具現化するのである。
紫城は朱雀の力を得て、中国武術に古くから伝わる暗器である鉄爪に退魔の力が備わった物を構え、女はまるでフェンシングのように――しかし、そう見えるだけでまるで違う剣の流派で――長剣を構えた。
次の瞬間。
互いに武器を打ち合い、そして魔術が飛び交った。
紫城は拳法の使い手。
女は剣術の使い手。
力量は、まさしく対等。
均衡はすなわち、膠着をもたらした。
「貴様らだけは許せない!」
颯姫の言葉。
家族を失ってからの六年間すべてを眼前の男妖魔へぶつけるかのように、その容貌が変化させた。
上級妖魔であった母親から受け継いだ血が、颯姫の容貌を畏怖すべきものへと変えてゆく。
金茶の髪は柔らかな金色となり、澄んだ蒼の瞳は黄金の月の光のように輝く。
闇夜に静かに佇む、神々しくも金色の光を受け継ぐ者のように。
「父と母を殺し、無抵抗の弥姫をも残虐な方法で殺し、そして一族さえも……どんな妖魔よりも、私は貴様らを憎む!」
金の眼光が煌めく。
それは限りなく鋭く、触れただけで切れてしまいそうな冷たい刃物のようだった。
「なんという力……! なんという憎しみの感情! お前の血はさぞ美味であり、我に力を与えてくれる事であろう!」
「――黙れ」
冷ややかでいて静かなる声とともに、颯姫の肉体が変化した。
表立っては目に見えない。
肉体を硬質化させ妖魔自身のものへと変貌させる、妖魔能力の『魔変化』と呼ばれるもの。
颯姫はまさに己の全身を文字通り凶器と化したのだ。
「私はまだ未熟だ……だが、貴様らだけはこの手で倒す」
金の双眸に強い意志の光が宿る。
「やってみるがいい」
男の瞳もまた、剣呑な光へ彩られていく。
そして口結を素早く組み上げ、手の中に雷の剣を生み出した。
ブラックワードのBLADE(ブレイド)の魔術である。
「一条の血を継ぐ最後の者よ……その力、見せるがいい!」
颯姫の身体と男の持つ雷剣が、激しくぶつかり合う。
二つの戦いが、流れを見せる――
颯姫と紫城、そして妖魔。
どちらともパートナーのカバーに入り、決定打を互いに与えられないまま膠着状態へもつれ込んでいた。
紫城は颯姫を、女は男を、怪我を負ったならばすぐさま治療する。
状況はまさに泥沼の想定を見せていた。
己の武器を振るうが、致命傷を与える事ができない。
紫城と女の魔力の消費も激しい。
一進一退の攻防。
このままでは決着がつかないのでは、と思われた時。
紫城が僅かに動いた。
自ら意図する事を颯姫に伝えるために。
「颯姫……ここを少し保たせてほしいの。あちらとて辛い状況のはず。ならばこちらも最後の勝負に出るわよ」
「はい」
紫城は囁き、その意図を素早く察した颯姫は改めて男の方へと向き直る。
了承と始まりを意味する合図を小さく紫城へと送った。
そして次の瞬間には、火の妖術を続けざまに繰り出した。
もちろん、当てるつもりはない。
ただの牽制に過ぎない。
「なんのつもりだ……?」
男の胸に、ふと疑問が生じた。
今まで近接で互いの武器を以って白兵戦を繰り広げていた相手が、魔術という手段に転じたのだ。
確かに格闘能力を高めるために魔術を行使したが、それは高度な魔術に比べると魔術の消費はごく微量なものだ。
魔力は充分に残されているだろう。
「最後の悪あがき、か? ふん、まあ良い。お前の望み通り、決着をつけようではないか!」
女を自らの背後へと制し、男は余裕とも取れる笑みをその表情に浮かべた。
あたかも自分が勝利者のように。
――かかった!
颯姫は男の態度に、少しだけ笑みを見せた。
追い詰められた者の自虐的な笑みではない。
そして紫城へ合図するかのように右手を天高く掲げ、手に紅蓮の炎を宿らせる。
口結をすでに組み上げていた紫城もまた、右手に朱金の輝きを宿らせた。
まったく同時に。
颯姫と紫城はその唇から呪文を紡ぎ、詠唱を始める。
夜空に、炎が舞う。
「我が手に宿りし紅蓮と朱金の炎よ
眼前の敵を焼き尽くす業火と化せ
猛き龍の息吹が如く飛翔せよ
我が龍の『火炎撃』!」
二人の掌から力の『同調』によって二つの炎がうねりを上げて放たれた。
紫城が直前に組み上げていた術は、同じ魔術を重ねて力をリンクさせる『同調』と呼ばれるもの。
それによって破壊力を秘めた紅蓮と朱金の炎は一体となり、男に向かって真っ直ぐに飛んでいった。
男の身体が炎に包まれた瞬間、女の身体にも炎が舞い散る。
直線上のすべての敵を炎に包み込む火の妖術、火炎撃。
炎は一瞬で散ったが、二人の妖魔は姿が揺らぐほどに深い傷を負っていた。
「誠に残念だが、この戦い――お前に預けよう。我らと再び相見える時まで、せいぜい己の技を磨いておくがいい。口惜しいぞ」
ぐったりと動きの鈍い女をいとも容易く片手で横抱きにし、もう片方の手を眼前に突き出す。
そして呪文を唱える。
「Sixth Permanent Relic
Eighth Alarm Destroy
( 第6の不滅の遺跡と
第8の破壊の警鐘を )
SPREAD!
( スプレッド )」
男の手から放たれた火の球は、男たちと颯姫たちとのちょうど中間点へと向かい、撃ち込まれた。
その着弾と同時に爆発が起こる。
爆音は聴覚を一時的に奪い、激しい爆風は砂塵を巻き上げ、土煙が視界を遮る。
数分の後、激しいまでの爆風は収まり、視界を遮っていた砂塵と土煙は風に流れされていった。
妖魔たちは、もういない。
放たれたSPREAD(スプレッド)の魔術は牽制の意味も含めた、目くらましだったのだろう。
視覚と聴覚を一時的に遮断した後に、何らかの手段を用いてこの状況から脱した。
そう考えるのが妥当であり、自然であった。
紫城は精神を集中し、自らの五感と第六感、そして神経を研ぎ澄ませていく。
魔力と妖魔の力――妖気――の存在を感知しようと試みているのだ。
しかし、その口からは小さな落胆の溜息が洩れた。
「……完全に、逃げられてしまったようね。魔力も残っていないし、微かな残滓妖気から判断すると、相手はどうやら『転移』を使ったようね」
半ば諦めにも似た表情で紫城は口を開いた。
『転移』とは、自らが見知った場所へと瞬時に移動する事のできる妖魔能力の一つだ。
「こうなると、お手上げ状態だわ。確かに私も颯姫も『転移』は使えるけれど、相手の行き先もわからなければせっかくの能力も使いようがないわね」
「楓さん……」
颯姫は感情が漣をうつ声で、紫城を呼んだ。
その肩が小さく震えている。
「私、悔しいです。あそこまであの妖魔を追い詰めておきながら、みすみす逃がすような事をしてしまって……! 自分の未熟さが、これほどまでに恨めしいなんて……っ!」
固く握り締めていた拳をさらに強く、きつく握り締める。
握り締めた手は爪が皮膚を裂き、鮮血を滴らせ大地を濡らしていく。
ただ、悔しくて。
妖魔に逃げる隙を与えてしまった、自分が情けなくて。
家族の仇も討てなくて。
すべてを、投げ出したくなる。
すべてから、逃げ出したくなる。
「――甘えるのも、いい加減になさい。私は、甘い考えを持つような事を弟子に教えた覚えもなければ、そんな弟子を取った覚えもないわ」
うなだれる颯姫に向かって、紫城の厳しい言葉が投げかけられる。
冷たくも取れる口調。
それは言葉を返す事もためらわれるような、抗う事さえも許されないような、不思議と威厳をも感じさせる声。
しかし、それでいて温かさを秘めた声。
「颯姫……あなたはこの六年間、私からなにを学び、なにを感じたの? そしてなにを思い、願っていたの? 思い出しなさい、復讐だけではない事を……」
厳しい言葉の中に含まれた意図を、颯姫は感じ取っていた。
紫城の元へ、身を寄せていた六年間。
確かに復讐の念はあった。
けれど次第に思いは、願いは、変化していった。
妖魔の力の使い方と、火の妖術の使い方を学んだ、たった一つの理由。
――強くなりたい。
自分の家族を殺した妖魔を倒せるほどに、強くなりたい。
強く。
誰よりも強く。
妖魔と戦うこの世界へと自分を突き動かした、たった一つの理由。
そして自分自身の願い。
「楓さん、私は……」
「お聞きなさい、颯姫。確かに今のあなたではあの妖魔はもとより、他の上級妖魔でさえ倒す事はできないでしょう。けれど、それは今現時点での事よ。あなたは、もっと強くなる。そう……私を越えるほどに。颯姫が望むのであれば、誰よりも強くなれるわ」
紫城は一呼吸置き、再び言葉を紡いだ。
「あなたの潜在的な力と能力は、こんなものではない。颯姫……あなたは限りない可能性を、その身に秘めているのよ」
妖魔の血を色濃く継ぎ、『妖術師』が『焔法師』である一条颯姫の師匠であり、自らもまた妖魔の血を受け継ぎ、精霊を友とする『召喚師』である紫城楓はその時、初めて師匠としての表情を崩したという。
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